Smileゆり(柳さわ由理)の自信メソッド通信 バックナンバー
日時 | タイトル |
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2023/04/11(火) 20:00 | Smileゆりの自信メソッド通信586号 悩みを越えた話 吃音を直したAさんの話(後編) |
Smileゆりの自信メソッド通信
あなたの日常に幸福を与え、
心に自信をもつことができますよう
お手伝いします。
586号 悩みを越えた話
吃音を直したAさんの話(後編)
************
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「ドアノブゆりの相談ルーム」
https://billion-ex.com/L41994/d1/15161
良かったらどうぞ。
登録してくださった方は「特典」と書いてくださったら
「30分無料セッション」を1回プレゼント致します。
良かったらご利用ください。
====================================
○○ ○○さん、
こんにちは
前号からの続きで
生まれつきの吃音に苦しみ
克服するために子供の頃から
落語を勉強し落語家になった
壽 文寿さん
今は福祉落語家にして活動されています。
落語のプロとして活動してもおかしくない
落語の腕前なのに、どうして「福祉」落語家
なのか?
その話をお伺いした時、私は感動したので
こちらにシェアしたいと思います。
文寿さんは橘右近師匠(橘流寄席文字の開祖)
から落語を学び、
「壽 文寿(ことぶきもんじゅ)」という名前
も師匠からつけて頂きました。
相当勉強されたのですが、どうしても
関西弁を直すことができなかったため
江戸落語の落語家として活躍することが
できませんでした。
それで関西で桂文紅(ぶんこう)師匠に
弟子入りしました。
また文殊さんの近所には
後に人間国宝になられた
桂米朝師匠が住んでおられ、
米朝師匠とは
仲の良い飲み友達だったそうです。
米朝師匠からは「一門」が違うのですが
「良い噺家はいくら落語を勉強してもダメで
人間性を磨く必要がある」
というようなことを教わったという。
江戸落語の粋もある、
上方落語の味わいもある、
二人といない良い噺家として
人生を生き、弟子も育てて
ということができたと思うのですが
なぜ「福祉落語家」というボランティア
の道を選んだのか?
それは平成7年1995年1月に起こった
阪神淡路大震災がきっかけでした。
それは多くの死者と被災者を生んだ、
関西の大地震です。
被災者は体育館など仮設住宅に住みました。
その際町内の全体で移動して住みました。
ある時、仮設住宅がなくなり、被災者は
マンションなどに住むようになりました。
するとそれまであったコミュニティ、
人とのつながりがなくなりました。
被災者の方々の孤独感が高まり、
家族全員がなくなって一人になって
生きておられる方が誰にも見られない
うちにひっそりとお亡くなりになったり
(孤独死)
自死されたり、アルコール依存症に
なったりということが増えました。
文寿さんも被災者だったので、それを
まのあたりにしました。
文寿さんは思われました
「人々の心に明るさや希望がないから
死にたくなるんだ。
被災者のおじいちゃん、おばあちゃん
おっちゃんおばちゃん、みんなが
笑って生き伸びてくれますように。
生きていれば、誰かが助けてくれる事も
ある。
ぼくが子どもの頃吃音で死にたかった
けど、落語で救われたように!
死んだらあかん。
生きていれば何とかなる。」
そう考えて、落語を人々に話して笑って
もらいました。
その様子を兵庫県の福祉の人が3回視察されたようです。
そして兵庫県から
「あなた、福祉落語家を名乗りませんか?」
と言われました。
文寿さんの活動を良いものとして、
兵庫県から認められたのです。
しかし、それはそれ以後
プロとして高座に出ないということです。
プロの落語家としてお客様からお金を頂かない
ということです。
(お車代のみ受け取り可能)
文寿さんは周りの人々から
「それはやめとけ」と止められました。
桂文紅師匠からも
飲み友達の米朝師匠からも
止められたそうです。
でも文寿さんは
「自分は子どもの頃吃音でいじめられ、
苦しんでもしかして本当に死ぬところだった。
それを落語で救ってもらった。
その恩返しに、自分の落語で人々を救う!」
と決意されて、
他のお仕事をしながら、
福祉で落語をされるようになりました。
兵庫県のマークの紋の入った羽織を着て
お話されます。
誰にも真似できない、
江戸と上方(東京と関西)の両方の
よさをあわせもった落語を話されるのに
ボランティアです。
それを昨年の夏まで24年続けられて
9000席、
ボランティアで話されたそうです。
今年で25年です。
1万席にむかって記録を更新中です。
このなりゆきをお伺いした時、
私は圧倒されました。
今度の日曜
4月16日日曜に京都の宇治で
壽 文寿師匠の落語会があります。
☆彡「宇治 天岩戸開き寄席 第三回」
内容
・壽 文寿師匠の落語 2演
間に
・石津日出男氏(元、高砂部屋)の相撲甚句
「相撲甚句」とは…
(大相撲の巡業などで披露される七五調の囃子歌)
・日時 4月16日(日)開場13時 開演13時半
・場所 京都光明地蔵院 研修所
宇治市宇治壱番139
(いのちを守る親の会 事務所)
・お席 入場無料(チャリティ募金受付)
・予約お問合せ 080-5301-0041(主宰 大熊良樹)
参加されたい方、興味ある方は大熊良樹氏に
お気軽にご連絡ください。
私も生きます。
文寿さんの落語を聞かせて頂くのを楽しみにしています。
それで今、壽 文寿さんの生き方を
描いた動画を作成中です。
今週中にできると思います。
できあがったら ご連絡いたしますので
また見てください。
・・・・・・
今回のこの文章、○○ ○○さんの
お心の参考になる処があれば
参考にしてください。
○○ ○○さん、
ご相談したいことがある時は是非
yurikirakira358@gmail.com
までメールをくださいませ。
どうぞ宜しくお願い致します。
**********************
あなたの日常に幸福を与え、
心に自信をもつことができますよう
お手伝いしています。
何かありましたら、メールをくださいませ。
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どうぞ宜しくお願い致します。
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落語のプロとして活動してもおかしくない
落語の腕前なのに、どうして「福祉」落語家
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文寿さんは橘右近師匠(橘流寄席文字の開祖)
から落語を学び、
「壽 文寿(ことぶきもんじゅ)」という名前
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できませんでした。
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弟子入りしました。
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後に人間国宝になられた
桂米朝師匠が住んでおられ、
米朝師匠とは
仲の良い飲み友達だったそうです。
米朝師匠からは「一門」が違うのですが
「良い噺家はいくら落語を勉強してもダメで
人間性を磨く必要がある」
というようなことを教わったという。
江戸落語の粋もある、
上方落語の味わいもある、
二人といない良い噺家として
人生を生き、弟子も育てて
ということができたと思うのですが
なぜ「福祉落語家」というボランティア
の道を選んだのか?
それは平成7年1995年1月に起こった
阪神淡路大震災がきっかけでした。
それは多くの死者と被災者を生んだ、
関西の大地震です。
被災者は体育館など仮設住宅に住みました。
その際町内の全体で移動して住みました。
ある時、仮設住宅がなくなり、被災者は
マンションなどに住むようになりました。
するとそれまであったコミュニティ、
人とのつながりがなくなりました。
被災者の方々の孤独感が高まり、
家族全員がなくなって一人になって
生きておられる方が誰にも見られない
うちにひっそりとお亡くなりになったり
(孤独死)
自死されたり、アルコール依存症に
なったりということが増えました。
文寿さんも被災者だったので、それを
まのあたりにしました。
文寿さんは思われました
「人々の心に明るさや希望がないから
死にたくなるんだ。
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プロとして高座に出ないということです。
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「それはやめとけ」と止められました。
桂文紅師匠からも
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でも文寿さんは
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苦しんでもしかして本当に死ぬところだった。
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福祉で落語をされるようになりました。
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誰にも真似できない、
江戸と上方(東京と関西)の両方の
よさをあわせもった落語を話されるのに
ボランティアです。
それを昨年の夏まで24年続けられて
9000席、
ボランティアで話されたそうです。
今年で25年です。
1万席にむかって記録を更新中です。
このなりゆきをお伺いした時、
私は圧倒されました。
今度の日曜
4月16日日曜に京都の宇治で
壽 文寿師匠の落語会があります。
☆彡「宇治 天岩戸開き寄席 第三回」
内容
・壽 文寿師匠の落語 2演
間に
・石津日出男氏(元、高砂部屋)の相撲甚句
「相撲甚句」とは…
(大相撲の巡業などで披露される七五調の囃子歌)
・日時 4月16日(日)開場13時 開演13時半
・場所 京都光明地蔵院 研修所
宇治市宇治壱番139
(いのちを守る親の会 事務所)
・お席 入場無料(チャリティ募金受付)
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参加されたい方、興味ある方は大熊良樹氏に
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私も生きます。
文寿さんの落語を聞かせて頂くのを楽しみにしています。
それで今、壽 文寿さんの生き方を
描いた動画を作成中です。
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